翻訳と辞書
Words near each other
・ 亀城線
・ 亀城郡
・ 亀場小学校
・ 亀塚公園
・ 亀塚古墳
・ 亀塚古墳公園
・ 亀塚神社
・ 亀塚稲荷神社
・ 亀姫
・ 亀姫 (妖怪)
亀姫 (徳川家康長女)
・ 亀姫 (松平忠直の娘)
・ 亀子のぶお
・ 亀尾
・ 亀尾フッ化水素酸漏出事故
・ 亀尾島川
・ 亀尾市
・ 亀尾英四郎
・ 亀尾警察署
・ 亀尾駅


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

亀姫 (徳川家康長女) : ウィキペディア日本語版
亀姫 (徳川家康長女)[かめひめ]
亀姫(かめひめ、永禄3年6月4日1560年6月27日) - 寛永2年5月27日1625年7月1日))は、徳川家康の長女。母は築山御前(瀬名)で、松平信康は同母兄。奥平信昌の正室。
== 略歴 ==
永禄3年(1560年)、駿府で生まれた。天正4年(1576年)、長篠の戦いをめぐる戦功への家康からの褒美として、三河新城城主・奥平信昌へ嫁いだ。生涯、信昌に一人も側室を置かせず、自身で4人の男子(家昌家治忠政忠明)と1女(大久保忠常室)を儲ける。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの戦勝により、慶長6年(1601年)夫・信昌が美濃加納藩10万石の藩主に任じられて、三男・忠政共々、加納に移ったことから、加納御前加納の方と呼ばれるようになった。やがて忠政、宇都宮藩の嫡男・家昌、信昌と夫子らの相次ぐ死去を受けて、剃髪して盛徳院と号し、幼くして藩主となった孫たちの後見役となった。
寛永2年(1625年)、加納において66歳で死去した。戒名は盛徳院殿香林慈雲大姉。墓所は光國寺(臨済宗妙心寺派)。4人いた妹たちには全て先立たれている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「亀姫 (徳川家康長女)」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.